表紙/1997.5.31 21:28稽古場にて。
ジャニーズ風に!のリクエストに応えてくれた1枚。

  正 治 大 典……
オトコの履歴書

正 治 大 典(ショウジダイスケ)
◆昭和49年3月19日生 愛知県出身
◆現在カタコンベにおいて役者と照明を担当


趣味―貧乏
特技―遅刻、無断欠勤

略歴―平成4年  新潟大学人文学入学。

  同  大学演劇研究部入部。転落の第一歩
平成6年 劇研退部。しかし、その後も
     劇研の名を騙って公演を打つことも。
  同年 新潟県庁の依頼で国民年金のイベント参加。
     C.C.ガールズの前座として新潟フェイズの舞台に立つ。

     年金の説明を盛り込んだ軽いコントを作・演出。
     大いに盛り下がる。
平成7年  寒日本海演劇まつり参加、鈴木ノリコと二人芝居。
  同年 劇団カタコンベにだまされて入団。
     初舞台『Slow Sand』で舞台から落ちる。
     これをきっかけに人生の坂を落ち続ける
     カタコンベ公演の合間を縫って
     劇研自主公演『錆びない街の女』(作・演出・主演)
     劇研卒演『カンガルー』(作曲・ギター等)
平成8年 これもカタコンベの合間を縫って劇団・五十嵐劇場の
     結成に一枚噛む。
     旗揚げ公演『僕らが非情の大河をくだる時』(主演・音効)
平成9年 五十嵐劇場第2回公演『斑女』(作・演出・作詞・作曲)
     下手くそな唄とギターで顰蹙を買う

以上がカタコンベ以外での主な演劇活動。

今後も取り敢えずは2足の草鞋を履きつつ残りの人生を転落して行く予定。

乞う御期待

 正治さん、です。カタコンベでは、しょーじくん、正治さん、しょーちゃん、しょーじ……などと呼ばれているようですが……演劇吉会では『正治さん』と呼ばせていただいておりますです。
 さて。前回たかのちゃんの事を、表現するのが難しいヒト……と書きましたが、正治さんに至っては我々には知らない事があまりにも多すぎまして……。
 『Slow Sand』の再演が決まり、無精者の演吉が久し振りにアトリエにお邪魔すると、彼はすでにそこにいて……。
 いつもなら新人さんには図々しくいろんな事を聞きまくる我々も正治さんにはびびりました。
こりゃあただの新人じゃない! とゆー気配がびしばしと伝わって来るんだもん。
 そして、それが判るだけに「今まで何をしていたの?」とは聞けませんでしたね。もちろん、これはカタコンベ以外の舞台をマメにチェックしていなかった我々の自業自得。
 聞くに聞けない、でも知りたい−−−−そんな状況が続きました。こーゆ事って、時間の経過とともにさらに聞けなくなるもんじゃないですか。
 そんな折、企画担当の谷藤さんから有り難いお言葉をいただきました。
「どうせ特集組むんなら、しょーじやってよ、しょーじ! 今、イチオシだよ?」
 これはチャンスってヤツでしょ?
 紙面を充実させ、さらに自分の欲求を満たす。

……大義名分って、いい言葉だなあ……。


正治大典を語る

 うーん。とてもお世話になっています。
 やー二人で朝五時まで稽古した時は、ただただ正治君には感謝感謝でした。……しかしその結果は……。
正治君はマッサージするととてもおもしろい。
 グフグフ……。
BY.さとうQ

 若いんだけどネー。じじくさいんだなー。明るい人かも知んないけど神経質かもねー。本番前はよくハゲるし。
 さぁみなさん。彼のハゲを探しましょう。
BY.谷藤幹枝


 ゲンコーを依頼したのは昨年で、内容を伝えたのは一週間前。それでもきちんと書いてくれる正治さんは律義。実際、正治さんだけでなく皆さん原稿依頼が遅くともきっちり予定日に仕上げて下さるんですよね。演劇吉会が自己批判するべきでした。反省!
 それにしても。原稿を一読して思いましたね。
 「……いやー、マジで直接訊かなくて良かった」 我々がどれくらい演劇観賞活動を怠けていたか、ばればれだもんなあ……。
 猛省します……とほほ。
ビデオもいいよ、カタコンベ。

 長い長いインターバルの間に、それでも3本の芝居を観たひらです。
 つかこうへいの『リング・リング』『飛竜伝92』野田秀樹の『罪と罰』……ただし、ビデオで。
 いずれも演劇禁断症状も末期に差しかかった私を可哀想に思った友人が貸してくれたものです。
 持つべきものは友と、文明の利器ですな。
 ところで、カタコンベでもビデオを販売している事は皆さん良くご存知かと思います。臨場感が少々そがれるのは寂しいですが、見逃しにしたあの舞台、この舞台……いいものは何度観てもいいという方に最適です。
 カタコンベの芝居を長く観続けている方なら、今回幕が下りた後で懐かしく思う舞台があるはず。パンフにも懐かしい名前がふたつ記されているでしょう?
 もちろん、初めての方にもおすすめです。
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 お久しぶりです……の方々の中にはお気付きの人もいらっしゃるでしょうが、今回の演劇吉会は一味違います。数号前から、徐々に準備を初めていましたが、この通刊12号が『演劇吉会』完全DTP制作第1号となります(簡単に言えばパソコンで制作)。わー!! 拍手、拍手、拍手!! 
 思いかえせば、6年前の今頃ですね。一人暮しを始めてまだ4ヵ月の私のアパートの一室で、当時はまだ友人の友人という関係だったひらと二人、徹夜で幻の創刊準備号を作ったのは。……懐かしいなぁというより、もう忘れてしまってたコトですが…。ひさびさにバックナンバーを見直して、ちょっと思い出に浸っております。
 で、今回は我が『演劇吉会』と会報『演劇吉会』の両方の歴史をふりかえってみることにしました。一応私の中では、第一期、第二期、第三期と、ありまして、第一期は、結成〜創刊準備号(1991.6)から通刊5号(1993.11)まで。だいたいこの間、約2年と半年。個人的には1度目の転職があったり、ひらも2度目の転職(正確には第一期終了直後のことですが…)。会員も出たり入ったりの時期でした。初の県外遠征もありました。で、何といっても、カタコンベの稽古場が移動! という『演劇吉会』のアイデンティティまで左右するような波乱万丈(?)なことが含まれていますが、それでも第一期と大きくくくってしまえる時期でしょう。(ちなみに『演劇吉会』の『吉会』はカタコンベの当初の稽古場であった、今は亡き『住吉会館』の名前に引っかけて付けたのでした……。)
 会報『演劇吉会』にしてみれば、この頃は、おもいっきり手作りで、表紙の写真も汚くて、(通刊2号と5号はそれでも私が職場で内職をする時間があったのでけっこうきれいでしたが)、全てコピーで作っていたため、コピー機の調子が悪いと、とても汚い……といった具合でしたね。
 第二期は通刊6号(1994.6)〜9号(1995.11)。この時期は、役者さんたちの顔触れもかわってきはじめた頃です。で、会報『演劇吉会』がリニューアルしたのも、この号から。表紙の写真もきれいになって(時間がなくて9号の写真はきれいじゃないですけど)、コピーではなく印刷に変わりました。が、困ったことに、私が新潟から地元に引っ込んでしまったため(ちなみに半年間のプーのあと2度目の転職)、なかなか陣中見舞にもいけなくなり、カタコンベ以外の芝居を見にいく時間がなくなってしまいました。しかも、ひらが平日休になってしまったため、二人で会う時間も作れず、けっこう会報を作るのに苦労した時期です(…今もだけど)。
 第三期は通刊10号(1996.6)〜現在です。第二期から三期の大きな変化は、まずポラロイド写真の導入。それから、私の会社での内職作業の増加です。写真をいちいち現像しなくてよくなり、出来はその場でチェックできるし、その写真を会社で使っているパソコンで処理しているので、段違いにきれいで、スピード短縮。経費削減。そして、今号からは、中面の文字原稿もワープロ文字の切り張りではなく、パソコンでレイアウトしたので、もう完璧。 
 第四期はいつから始まるかわかんないですけど(たぶん新会員が増える頃かな)、まだまだ21世紀になってもカタコンベが続く限りがんばっていきますので(たぶん)、これからもよろしくお願いします。
……………………って誰に言ってんだ私?


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